高村光太郎 高村山荘へ [花巻市]
昨日、イグネを見た後『高村山荘』に向かった。
高村光太郎が戦後昭和20年から27年まで7年間過ごした
住居である。
住居と言っても作業小屋を移築したような粗末な小屋である。
高村光太郎は彫刻家で詩人として有名だが、今どきの若い人
たちにはなじみが無いかも知れない。
詩集「智恵子抄」「道程」や十和田湖の「乙女の像」の彫刻家
と並べば少しは思い出すかもしれない。
東京出身の光太郎が何故花巻に住んだか、説明が長くなるので
ここでは書かない。
兎に角戦後の食糧難の時期に独居自炊の生活をしたのである。
住居は2重の防護の覆い堂のように囲われているのでいかにも
立派に見えるが、モノクロ写真を見てほしい。
夏の暑さ、冬の寒さ、どれほど厳しく辛いものだったか容易に
想像できる。
どうぞ岩手に旅行した際は、花巻市の宮沢賢治関連施設と共に
「高村山荘」も立ち寄って頂けたら、と思います。
散策路
散策路沿いに咲く山野草 ホウチャクソウ
智恵子展望台
展望台からの眺望
高村山荘
高村光太郎が戦後昭和20年から27年まで7年間過ごした
住居である。
住居と言っても作業小屋を移築したような粗末な小屋である。
高村光太郎は彫刻家で詩人として有名だが、今どきの若い人
たちにはなじみが無いかも知れない。
詩集「智恵子抄」「道程」や十和田湖の「乙女の像」の彫刻家
と並べば少しは思い出すかもしれない。
東京出身の光太郎が何故花巻に住んだか、説明が長くなるので
ここでは書かない。
兎に角戦後の食糧難の時期に独居自炊の生活をしたのである。
住居は2重の防護の覆い堂のように囲われているのでいかにも
立派に見えるが、モノクロ写真を見てほしい。
夏の暑さ、冬の寒さ、どれほど厳しく辛いものだったか容易に
想像できる。
どうぞ岩手に旅行した際は、花巻市の宮沢賢治関連施設と共に
「高村山荘」も立ち寄って頂けたら、と思います。
散策路
散策路沿いに咲く山野草 ホウチャクソウ
智恵子展望台
展望台からの眺望
高村山荘